2011 石巻の日日【4月22日】
投稿日:2012年5月3日
2011年4月22日
湊小学校をひとまわりする。
あらためて学校をまわってみる。
汚泥でぬかるんでいる校庭。
たくさんの水たまり。
長靴がないと歩けない。
校庭の奥に自衛隊の車が数台。炊き出しの準備をしている。
体育館では、パキスタンの人がカレーの炊き出しの準備。
フロアにはダンボールに支援の服がある。
校舎の正面には、ボランティアテント。
受付がありいろいろな人が出入りする。
その左手には巨大なサーカステント。
お風呂である。
「希望の湯」と書いたのぼりがはためく。
4月19日にできたという。
ボイラーなどの設備。
校舎に入る。
受付があって支援物資など配布している。
近隣の家にいる人たちが受け取りにきている様子。
ピースボートのボランティアたくさん。
すぐ右に曲がると本部と書いてある。
中をのぞくと、支援の鳥取県職員、神奈川県職員の姿。
1Fに物資倉庫がいくつかある。
階段をあがる。途中に泥の線のあと。
この高さまで津波がきたと教えてくれた。
2Fから上が避難者のいる教室。
家庭科室は、救護所になっていて、日本赤十字の人
あと別の医師グループも。
廊下には様々な生活用品や物資など。
図書室では、子供たちの勉強会。
3F、4Fと避難者の教室。
各教室20名ほど。
屋上へ続く階段を上がると
踊り場にテントがはってあった。
誰が寝ているのかな。
窓から学校の裏手を見ると、お墓があり墓石の上に車がたくさんのっかっていた。
水の通り道になって、車がたくさん流れてきたという。
しばらくその景色を見た。
そして校庭のほうを見た。
車がたくさんとまっていて人々がせわしなく動いていた。
今、湊小学校には、500人くらいの人がいるのかな、と思った。